中村 道一(なかむら みちかず)
NKE株式会社 代表取締役社長
生年:1964年
中村社長、本日はよろしくお願いいたします!
よろしくお願いします。
この会社はお父様が創られたのですよね。
そうです。一般企業に勤めていた父ですが、「管理職になると自分の好きなことができなくなる」と言って独立しました。
お父様はどんな方ですか?
父は人生を謳歌しているような人です。根っからの技術屋さんで、自分の好きなことをやって生きている人です。表裏がなくて正々堂々と色々な人に対して接していました。84歳になった今でも若い技術者を捕まえて、良い意味で喧嘩していますよ(笑)
そんな父親の背中を見て中村社長はどのように育ったのですか?
会社を継ぐとか継がないとかはあんまり真剣に考えたことなかったし、なんとなく……という感じでした。あまり真剣に考える時代でもありませんでしたね。
時代の影響もあるのですね。大学はどうされていたのですか?
大阪の大学で機械について学んでいました。何かしたいことが特にあったわけでなく、機械が好きなわけでもなかったのですが、父の影響で機械科に進みました。
その後はどうされたんですか?
社業が安定していたので留学に行かせてもらいました。留学が終わった後はシライ電子工業株式会社というところに入れてもらい、修行させていただきました。そこの社長が面倒見の良い方で、色々な経験をさせてくれました。「3年しかいないんだから色々なことを経験しろ」って言っていただいて。
その接し方、素敵ですね。中村社長が他の人と違うと思うところはどんなところですか?
「責任感」ですね。この会社を任されて、この会社を良くしていくという責任感は誰にも負けないです。
責任感……
父親のように物作りの想いが人一倍強いわけではない、技術的な経験を自分が持っているわけでもない。何か自分が他の誰にも負けないものはないか、と考えた時に「責任感」だけは誰にも負けないなって思いました。
責任感は昔から強かったのでしょうか?
そんなことないです。大学生の時は、「好きなことをやる!嫌いなことはやらない!」って感じでした。
責任感を持つきっかけがありましたら教えてください!
この会社に入社してしばらくして、一つの事業部の代表になったことが大きなきっかけになりました。ある時、会社内で内紛が起きて、一つの事業部にいた人たちがごそっと抜けて事業が成り立たなくなりました。その事業部の代表を誰がやるんだってなったのですが、誰もやろうとしませんでした。それで私がやることにしたんです。その後は大変だったけど、自分の中で大きな経験になりました。それが責任感の一つだったのかもしれない、と後から振り返って思いました。
責任感が強くて苦労したことはありますか?
それはないですね。おそらく親父の創業の時に比べれば、それほどの苦労ではなかったと思います。やりがいは感じているけど苦労しているって感じはないですね。
責任感を持つことによって中村社長の中で変わったことは何かありますか?
物事を決めるときの原動力が「できる・できない」ではなくて「やらねばならない」に変わりました。「判断しないといけないから判断する!」という感じです。
大変じゃないですか?
大変ですよ。でも引き受けた時に見えてくるものがある。受け持ったら次が見えることって結構あるんです。逃げるって選択肢は私にはないのでやるだけ、ということです。
今大学生に戻ったらやりたいことはありますか?
勉強です。
どんな勉強ですか?
色々な勉強がしたいです。いわゆる一般教養を勉強したい。
それはどうしてですか?
結局想像力というものは一般教養に比例するものだと思うんです。教養が想像力の基盤になる。だから教養って大切だなって今になって感じます。
中村社長の座右の銘を教えてください。
「吾が道は一を以って之を貫く」、孔子の言葉です。ちょうど自分の名前にも同じ字が入っててね、その“一”を人生かけて追い求めるのが使命なのだと考えています。
中村社長にとっての“一”は定まっているのでしょうか?
いいえ、まだ定まっていなくて、それをこれからの人生をかけて見つけていければいいなって思います。
なるほど!ありがとうございます!最後に大学生に向けてメッセージをお願いします!
今の大学生はしっかりしていますよ。ちゃんと物事を判断できるし、将来のことをしっかり考えている。あえて言うなら、あんまり打算的に考えずに思い入れを持ってできることを見つけてもらえたらな、と思います。よく若い人に「思い込みじゃなくて思い入れを持て」と言っています。長い人生、計算尽くでは上手くいかないことの方が多いから、打算的に考えずに人生を歩んでいただきたいですね。
中村社長の持つ「責任感」の覚悟と思いをありありと聞くことができました!中村社長、お時間いただきありがとうございました!