齊藤酒造株式会社の齊藤社長に取材!

32歳という若さで経営者になった齊藤社長。経営者の息子に生まれた人は一度どこかで修行して戻ってから会社を継ぐ、というのが当たり前の時代。そんな中、齊藤社長は大学卒業後すぐ齊藤酒造へ入社。気になって聞いてみると、そこには父親の教えがありました。

齊藤 透(さいとう とおる)

齊藤酒造株式会社 代表取締役
生年:1957年

齊藤社長にとって、20代で経験した10年間は人生においてどういった時間でしたか?

20代は社会人になり、めまぐるしい変化のある10年でした。代々の家業を引き継ぐ家系に生まれたので、子供の頃から父の後を継がないといけない、というのがプラスの意味でもマイナスの意味でもありました。社会人になるまでは正直そこから逃げ出す勇気もなかったので、運命というベルトコンベアーに乗って1年1年過ぎていった、という感覚でした。実際に20代で会社に入ってみたら、子どもの頃から想像していた会社とは違いましたね。こういうことをやっているのか、と初めて分かりました。社会人としてスタートし、もちろん嬉しいこともたくさんありましたが、色々と恥もかいたり後悔したこともありました。色々なことがあったのが私の20代ですね。

20代で経験された失敗とはどんなことですか?

それは未熟さ故の思い違い。社会の常識が十分には分かっていなかったので、私の行動が社会から跳ね飛ばされたと思えたこともありました。生意気なところがあったかもしれないし、甘ったれんなって思われたこと、考えちがいの行動をしたこともあったと思います。その都度痛みを感じていましたが、痛みを感じることで成長に繋がったのも事実です。それは教えられるようなもんじゃないので、結果的に20代のうちにたくさん経験できてよかったと思っています。

齊藤社長は大学卒業後、すぐに齊藤酒造に入社されました。修行してから戻る、というのが一般的な中、齊藤社長はどうしてそのような決断をされたのですか?

一言で言うと、父親の教育方針でした。

それはどういう……?

会社を経営しようと思うのなら、その会社のことを将来誰よりも知ってなければならない。だからその会社に関わる時間を最大にするべきだ、という考え方です。違う会社に勤める場合「何年かで辞めることが分かっている人に、そこの会社の経営者がその会社の真髄と言えることを本当に教えるか?」という考えが父親にはありました。仮に他社でお世話になったとしても、「たった一社で世の中を知ったと言えるのか。ならば何社も何社も勤めるのかというとそうはいかない」父親にそう言われ、納得してこの会社に入ることにしたんです。

修行するというのは、他の会社で苦労してくる、ということも含まれているのではないでしょうか?

どうせ苦労するなら、自分のところでしたらいいんじゃないかって思いました。おそらく自分のところだと、ちやほやされることもあるし、逆にいじめられることもあります。諸々含めて自社でやったらいいんじゃないか。

取材風景

なるほど。齊藤社長のお父様はどんな方でしたか?

自分の考えを持っている人でしたね。

具体的にはどういう点でそう思われたのですか?

例えば、社長を引き継ぐ時、普通は「後継者に任せられるようになったから」とか、「もう自分が会社を続けられる歳じゃないから」などが理由ですが、父親は「自分が還暦になったから」私に社長を引き継ぎました。当時の父親の中では、60歳というのはもう世間の価値観の中心にいない。だから私が社長をやるべきだ、と。いつも会社のことを考えている人でした。

お父様の言葉で一番印象に残っていることを教えてください。

私が社長に就任した株主総会の後に父が発した次の言葉が一番印象に残っています。
「これから小さいながらもお前は齊藤丸の船長なんだ。今小さい船が太平洋に浮かんでいる。どう進むかはお前が決める。嵐や台風がくるときもある。そんな中でも船を上手に転覆しないよう航海させるのがお前の仕事だ。もしかしたら大波がきてもうだめだ、ってなるかもしれない。その時は社員という乗務員全員を無事に避難させてやらねばならない。そしてお前は自分自身をメインマストに括り付けてその船と運命を共にしなければならない。もしお前が精一杯やった結果そのようなことになったとしたら、わしも一緒に括られてやる。(笑)」
父親には覚悟と責任の大切さを教えてもらいました。覚悟があるから自分が正しいと思うことを貫くことができる。責任があるから、人の言葉に耳を傾けられる。

素敵な教えですね。他に印象に残っていることはありますか?

事務所の壁紙が傷んでいたので社長になってすぐに壁紙を貼り替えることにしました。父親の建てた物だからと思い相談したら、「お前社長やろ?お前が一番居心地の良いものにしたらいい」って言われたんです。「ああ、そう?」と思って、それからパンフレット見て好きな壁紙に貼り替えたんです。次の日、親父が壁をじっと見ていました。10年くらい経ってからかな、父親に「あんな居心地の悪い色の壁にするとは思っていないかった」って言われました。(笑)このことに限らず、父は私の価値観を大切にするため、じっと我慢して私を見守ってくれていたのだと思います。

「社長が決める」というのを大切にされたんですね。それでも齊藤社長自身32歳で経営者になってから苦労したことは、色々あったのではないでしょうか?

一番大事で、いつまで経っても解決しきれないと思うのは、人の心に迫る仕事です。人の心は難しい、それをどうやってまとめていくのか、社員それぞれに価値観や求めているものが違う。苦労というより、それが私の仕事なのですが、やっぱり人の心を扱うというのは大変です。今も一生懸命向き合い続けていますよ。

ありがとうございます!それでは最後に大学生へメッセージをお願いします。

今は、平均寿命が85年です。最初の20年、これは父母や社会の世話になっている時間。そして最後の15年は、子供や親族、社会にお世話になっている時間。そう考えると35年間は人の世話になります。だからこそ、真ん中の50年は恩を返す期間だと思います。その手段の一つが仕事です。仕事をするというのは、稼ぐためだけでなく、自分が支えられている35年の恩返しの期間です。色々な形で恩返しはできます。どういう形で返したいのか、という視点で職業探しをしてほしい。受けた恩を返すんやと思って、社会人になってほしい。恥じない50年をしっかり過ごしてほしいと思います。

恩を返すという視点を大学生の頃に持つのはなかなか難しいのではないでしょうか。
だからこそ、齊藤社長の言葉一つ一つをよく考え、咀嚼し、前に進んでいけたらと思います。