株式会社青木光悦堂の青木社長に取材!

青木 隆明(あおき たかあき)

株式会社青木光悦堂 代表取締役
生年:1966年

京都で約130年、金平糖を中心にお菓子を提供し続けている青木光悦堂の4代目青木隆明社長。青木家の1人息子として会社を継ぐことを期待された。青木社長はそんな親の期待に耐えきれず家出をしたこともあったそう。そして、そこで得たことが今に繋がっていると言う。
大学生の頃に何を考え、社会人でどんなことをして、今にどう繋がっているのか。
青木社長の取材を通して、僕がこれからを生きる1つの指針が見えてきました。

青木社長は大学生の時に家出したんですか!?

そうなんです。大学まではいわゆる親が引いてきた線路の上を歩いてきました。両親が「大学に入れ」とうるさかったので、行く目的もないのに入学しました。そして大学に入ったら、それまで厳しかった両親が途端に「好きなことをしろ」って言ったんです。

好きなことができるようになったんですね。

ところが急に手放されて、自由というものを手に入れたにも関わらず、その自由の使い方がわからなかった。お金もないからバイトをしないといけない。自由というのをものすごくネガティブに捉えていました。それまで自分のやりたいことを考えてこなかったので、「したいことをしろ」って言われても何もわかりませんでした。モヤモヤしているのに、親の期待はそれとなく感じるし…….。それで耐えられなくなって、大学1年の夏に家出しました。長野県にある高原野菜栽培のところへ住み込み三食付きのアルバイトに行きました。そこには出所も年齢もバラバラで、色々な人がいました。そこにいた先輩に自分の事情とか全部話したんです。そしたら
「わからないなら、わからないなりにもがけ。今回信州に来たみたいに、自分がやりたいと思ったことに自分をかけてみる。違うと思ったらやめたらいい。そして、また何かをやるうちに自分の好きなものが見つかるから」とレタスの葉っぱを切りながら先輩がアドバイスしてくれたんです。長野のアルバイトでは、様々な人とお話しして、価値観が広がりました。最後は東京にも連れて行ってくれて、テレビで見ていたぎゅうぎゅうの電車に乗って、初めてタワーマンションを見て、自分がこれまで見てきた世界は思っていたよりも小さいんだなって思いました。それからは、自分で色々な世界を見たいと思うようになりました。

世界が広がったんですね。でもそこから動くのが大変ですよね。青木社長は大学生の時どんなことをされたんですか?

色々なアルバイトをしました。レコード屋、お好み焼き屋、カレンダー製作、鰹節、本屋、新聞配達、修学旅行生のカバンの配達、引っ越しもやりました。

すごい数……!アルバイトを通して世界観を広げたことは現在にどのように繋がっていますか?

なんでも肯定できるようになりました。1つのところに居続ける良さも、もちろんあります。けれど、こうでなければならない、というのが無意識に染み付いてしまう。色々な価値観を知ることで違う視点から見ることができます。例え今いる環境でうまくいかなくても、他の価値観や選択肢を知っていることで「自分の輝ける場所が必ずあるから、大丈夫」と思えるようになりました。

取材風景

社会人になって他の会社に入ってから名古屋で修行をされていたそうですが。

当時、名古屋は京都よりも我々の扱う流通菓子が発達していたので、勉強をしに行きました。京都へ戻り小売店へお菓子を売りに行くんですけど、同じような業者がいくつかあるから値段で比べられるんですね。お菓子を持って行っても、「今日朝来たところは100円だったよ。100円以下でいける?」って商品を値段でしか見ていない。それじゃあ楽しくないんですね。ずっと悩んでいました。私じゃなくても安ければ誰でも良いんだ、と……。

どのように向き合ったのでしょうか?

親父からはずっと「本物を売れ」と言われていました。当時の僕は「商品自体はどこも同じやん。本物ってなんやねん」って感じですよ。36歳の時に社長になりました。社長になってから、色々なイベントだったり勉強会に参加したのですが、ある講演会でディズニーランドについてのお話を聞きました。レストランにいらっしゃったご夫婦2人が「お子様ランチください」と頼んだそうです。しかしスタッフは「お子様ランチは子供しか注文できないので」とご夫婦に説明しました。それを聞いてご夫婦はすごく困っていたそうで、スタッフが理由を聞いたら「私たちには子供がいまして、その子がディズニーランドに来るのをとても楽しみにしてました。でも三ヶ月前に亡くなってしまって。私たちは子供をここにどうしても連れて来てやりたかったから、せめてあの子が喜びそうなことをしてやりたかったんです……」それを聞いたスタッフはすぐさま厨房に駆けて行って、間も無くお子様ランチと子供用の椅子を持ってきてテーブルも2人席から3人座れる席に移しました。
それを聞いて震えあがりましたね。何という人の気持ちに寄り添った接客なんだ。こんな仕事をしたい、こんな会社にしたい。自分のやりたい方向性が決まった瞬間でした。値段じゃなくて、またここに来たいと思ってもらえるようなお店にしたい、自分を指名してくれる商売がしたいと思うようになりました。

それはお父様の教えとも繋がったんですか?

父の「本物を売れ」という言葉とがっちり結びつきましたね。「本物」というのは商品のことだけを言っているんじゃなくて、そこに向かう姿勢、態度も全て含めた「本物」だということに気づきました。

なるほど。今までの社長の人生を振り返って、大学生を中心とした20代の若者にメッセージをいただきたいです。

僕の20代はやりたいことが真っ直ぐできた時でした。今は、会社での立場や家族の中での役割などがあるけど、20代の時、大学生の時に自分のやりたいことにとことん向かうことができたから今の自分があります。なので、若い時はとんがったらいいと思います。出る杭は打たれるって言うけど、どんどん出過ぎたらいいと思う。大人になるにつれて叩かれて、だんだんと丸くなっていくけど、その丸さはとんがった分だけ大きな大きな丸になる。人間の器が大きくなるとはこの事です。だから今の若い人には自分の感情に従って、興味あることに物怖じせずに飛び込んでほしいと思います。

ためになります!ありがとうございました!

「とんがれるだけとんがれ、後で丸くなっていくんだから」、と今本当に必要なことを教えてくれた青木社長。
ありがとうございました!