中島 孝誠(なかじま たかのぶ)
株式会社 井六園 取締役社長
生年:1970年
子どもの頃から人と違うことをするのが好きだったという中島社長。そんな中島社長が学生時代に熱中したのは銅版画!?現在、井六園の社長として200年続く会社を経営する中島社長が大学生に伝えたいこととは…?
小さい頃から他の人がしないことをしてた
中島社長は美術大卒ということですが、どうして美術の方向に進もうと思ったんですか?
小さい頃から絵を描くことが好きでした。その中でも版画に興味があったんです。昔から人があまりやらないことに興味を持つことが多かったですね。学生時代は版画の中でも銅版画に熱中していました。
他に印象的な出来事があったら教えてください。
大学時代は楽しく過ごしていましたよ。初めて行った海外旅行がエジプトで、ツアーに一人で参加してたりしていました。個展に作品を展示したりもしていましたが、作家になる夢は残念ながら敵いませんでしたね。
芸術家を目指されるほど熱中されていたんですね。その後、井六園に就職されたんですね。
会社は父に紹介してもらいました。「面白い会社がある」と。父は百貨店で企画宣伝部にいた人でした。展覧会イベントの責任者をしていたり、自分で作家の展覧会を開いたりもしていましたね。
お父様も美術に関心があったんですか?
父は自分でものを作るというよりは作品をどう演出するかという、届ける方に長けていた人でした。色々な趣味を持っていて、落語を勉強して仲間と寄席をしたり楽しく過ごしていたようです。今思えば父は偉大だったなって思いますよ。
それは具体的にどういう点で?
父は自由にしていたように見えたけど、責任を持って日々を過ごしていたんだと思います。二人の子どもを大学まで行かせてくれて、私の好きなことをさせてくれた。今でもすごく感謝していますよ。
お茶を届けるということ
そんなお父様に紹介されて井六園に入社したんですね。仕事をしていて、大学でしていたことと繋がることは何かありましたか?
お茶を扱うこの商売も、美術作品と同様に手間を掛ければ掛けるほど良いものになっていく、という点ですね。1つ1つの商品に対して愛着を込めて手を掛ける、というのは大学時代に通ずるものがあります。
面白いですね!お茶と美術が繋がっている。
逆に、仕事をしていて、大学時代にこうしておけばよかった、と思うことも見つかりました。
教えてください!
商品はお客さんのもとに届いて初めて完成する、ということです。いかに自分たちの商品と向き合ってクオリティを上げたところでお客さんに届かなければ意味がありません。そのためには世の中で求められているものをマーケティングして、届け方を工夫する必要があるわけです。それは大学生の時の自分に足りないものでした。
それはどういうことですか?
大学生で絵を描いていたときには「お客さんに商品を届ける」という視点がありませんでした。自分の作品をいかに磨き上げるか、そこにしか目が行き届かなかった。自己満足で終わっていたんです。もし今大学生に戻ったら、自分の作品をどう届けるか、というところも合わせて考えていきますね。
作るのと同じくらい、届けることも大切なのですね。
今はSNSやYouTubeなどの媒体を通して個人が発信しやすくなりました。自分の個性を売っていける時代です。挑戦できる場が増えたので、学生のみなさんはどんどん挑戦して欲しいです。自分の作品を磨き続けるだけではなく、少し視点を広げて「みんなが求めていることは何か」ということも考えて、届けるところまでプロデュースできれば良いですね。そうすればみなさんは今よりもっと活躍していけるのではないかと思います。