過去を見つめて未来を見直す-畑社長に学ぶ-

畑 正高(はた まさたか)

香老舗 松栄堂 代表取締役社長
生年:1954年

それでは畑社長、よろしくお願いいたします!

よろしくお願いします。

今回は、畑社長の考え方を掘り下げていきたいと思います。畑社長が大学生の時はどのようなことをしていましたか?

大学の時は古美術研究会に入って四年間活動をしたり、先輩や友人と夜遅くまで多くのことを語り明かしました。信州の白馬 乗鞍スキー場近くの民宿にお世話になってね、そこで住み込みバイトもしました。昼はスキーして、朝と夜はお手伝いをしながら宿泊やご飯をまかなってもらいました。勉強はあまりしていなかったね。楽しい大学生活でしたよ。

大学生の時に本は読まれていましたか?

本は結構読みました。特にその頃に大きな影響を受けた本がありまして、水尾比呂志の『美の終焉(1967年)』と言います。その本は今でも大切にしています。

その本にはどのような影響を受けたんですか?

その本を読んで、日本の美の捉え方が完全に西洋に依ってしまっていることを知りました。本来、日本の美というのは「自然美」、つまり自然の営みの中にある「懐かしさ」や「優しさ」「丁寧さ」などと表現される「絶対美」のことを指していたのですが、西洋の美が日本に入ってくることによってこの国の美が命を終えてしまった、ということを本では述べています。人間の営みを超越したところに「美」があるのですが、人間に内在する芸術性こそ「美」という西洋の考え方で相対的な価値として片付けてしまっていいのか?職人が手をかけ心をこめた無意識の仕事を「民芸」として片付けてもいいのか?そうしたことを考えさせられた一冊です。

なるほど。

昔の人が残した日本人の心は現在でも至る所にあるのに、日本人はそれを意識することなく片付けてしまっていることが多いように感じます。例えば、日野さんが仏様を祀る時に必ず準備するものはなんですか?

お香と灯火と……お花ですか?

そこなんですよ。香、花、灯火。香花灯明って言葉があって、その三つを整えるというのが仏さんを祀る際の最低限必要なことです。それは僕たちが決めたわけではない。代々そう教えられてずっとそうしているわけです。これは1400年以上前に、日本人が当時の外国の文化に学んで取り入れて育んできたDNAみたいなものです。そこには当然それぞれに意味があるはずです。

それぞれの意味……

「灯明」はわかりやすい。「一隅を照らす」という言葉があるように、「ほんの片隅でいいからポッと明かりを照らしなさい」ということ。あなた自身が社会で一隅を照らすような命の燃やし方をしなさいっていう教えを意味しています。「花」に関しては、綺麗だから飾るのではなくて、それは自然の営みを象徴しているのです。僕らが意識しようがしまいが、淡々と命を全うしてそこに存在を残していく。そして自ずと消えていく。仏様に飾る花というのは、私たちの意識のベクトルがどこを向こうが、それを意に解さずにきちっと命を全うする(自然界という絶対的な力が確かにある)ということを教えてくれているのです。
では「香」は何を語っているのでしょうか。仏様の慈悲は誰か一人にあるものではなく、みんな平等に届いています。それを「何で僕だけこんなに不幸なのだろう」と思うのが人間の性です。遍く広がる慈悲の心を語っていると思います。「香」は一部分のみに届くのではなく、全体に広がります。仏様の慈悲がそういう姿であるということを教えてくれるのが「香」なんです。気がつくかどうかは、一人一人の心のありように委ねられているんだと思うんです。

知らなかったです。今まで無意識に「そういうもんだ」とばかり思っていました。

明治以降の日本人の多くは、今ある日本の伝統、文化を当たり前だと思ってしまっているように思います。

歴史ある日本の価値観を大切にしていかなければと思いました。畑社長が大切にしている言葉があれば教えてください。

私は「温故」という言葉を座右の銘にしています。

温故?「温故知新」は聞いたことありますが、なぜ「温故」なのですか?

あえて「知新」はつけていないんです。「温故知新」とは、過去を訪ねてそこから今や未来に対する知見を深めることを指すのですが、「知新」つまり新しい知見を得ることに関しては、私たちが生きている限り、みんな前を向いているからあえて取り上げる必要ないと思っています。過去を知ること、つまり「温故」することによって未来を見る目は自然と変わると思うのです。どうしても時代変化の早い現代に生きていると、過去よりも未来を見ることに意識が向きがちですが、それは過去を見て、歴史を知ることによって変わるというふうに私は考えているのです。

奥深いですね。

例えば「今夜どうする?」や、「これから何がしたい?」と聞かれたとします。未来を語るとき、私たちはちょっとした軽い過去のデータで判断しているのでこういった問いには答えることができるのです。だから知新なんてほっといてもいい。それよりも知新を裏付けてくれる温故を大切にしていったらいいと思っています。過去に踏み込むことを意識すると未来の見え方変わりますよ。でもただ過去を知るだけじゃいけない。どの過去を、どう意識するかを熟慮することが大事なんです。

社長が日本文化を学ぶ時に意識していることはありますか?

それは「慮る」ことですね。歴史を学ぶ時に、21世紀のものさしを当てても何の意味もない。それは自分個人のものさしでしかなくて、その時代の人がどういう感覚、宇宙観、宗教観だったのか、どんな社会に生きていたのかというのを慮ると色々な気づきが出てきます。例えば、平安貴族がお香を使っている、そこに対して「へー、そうなんだ、いいな」で終わってしまったらもったいない。そこでもっと慮り出すと色々見えてきます。実際にお香を焚いて生活していた貴族たちは800人くらい。その800人を何万人もの原始的な生活をしている人々が支えている。800人の高貴な人たちは屋敷地に塀を立てることによって空間を庶民の生活から遮った。ただ生活の匂いばかりはどうしようもなかった。だからお香を焚き続けて香りのバリアを張った。そう考えると源氏物語の見方だって変わると思います。貴族社会に生きる人々とは、海外からもたらされる貴重な香料が常に手元に保障されている人たちだったのです。それを今の価値観でとやかく言っても意味を為しません。

確かに……断片的にしかこれまで歴史を学んでこなかった気がします。畑社長、最後に大学生に対してメッセージをお願いします!

今の若い人たちには、過去を見る力を養って未来を見ていってほしいと思っています。京都御所には木がいっぱいありますよね。とても立派な木がたくさん生えています。その中に私の好きな榎の大木があるんです。ではこの木は何のためにあるのか?それは花を咲かせるためでも、実をつけるためでも、大きな根っこに学生が座って楽器を楽しむためでもないと思うんです。その木は大地があるおかげで大きく育つことができて、根っこを大地いっぱいに広げて今存在しています。ですが、もしこの木がこんなに立派になった結果、豊かだった大地の品質がレベルダウンしてたら、この木はここになかった方がよかったという事になります。つまり、この木にとっては自分を育ててくれた大地をより豊かにすることが至上の目的だと思うのです。そうであるのに、その木がどんな根っこを張っているのか、どうやって育ってきたのか、ほとんど誰も気に留めません。思いっきり豊かな大地に自由な根を伸ばして、大きなパフォーマンスに挑戦してください。そして一人一人がまた大地を豊かにする糧になるべきなのです。例え話ではありますが、そうしたことを意識した上で、ポジティブに広い視野を養って色々なことに挑戦していってください。

「これからどうする」を考えがちだけど、その前に「これまでどうだった」があることに気づくことができました!畑社長ありがとうございました!