森 昌哉(もり まさや)
三光機工株式会社 代表取締役社長
生年:1961年
森社長、本日はよろしくお願いします!
よろしくお願いします。
森社長が子どもの頃の社会情勢について教えてください。
私が子どもの頃は高度経済成長期の真っ只中でした。当時は私の祖父が会社を経営していて、周りの意識として「今後生活がどんどん上手くいく、豊かになっていく」というのがありましたね。
森社長はその頃、どんな夢を持っていたのですか?
京都にはその頃市電が走っててね、それが好きで将来は市電の運転手になりたいと思っていました。でも祖父の会社を継いで社長になるんだろうな、とも物心ついた頃から考えていました。
市電の運転手も素敵ですね!大学の時は何をしていましたか?
東京の大学に通って商学部に所属していたのですが、そこの先生は面白かった記憶があります。
そうだったんですね!その先生から学んだことは何かありますか?
集団が1人で面倒を見るのは12人まで、というのを教えてくれましたね。キリストでも13人目が裏切られています。あとは物事の見方。物事には良い面も悪い面もあって、どちらも理解することが大切だ、ということを教えてくれました。
その教えは仕事にも活かされているのでしょうか?
そうですね。あまり極端な結論にならないように、丸く収めるというのは大切にしてますね。父親もそういうことを言っていた気がします。
森社長のターニングポイントについて教えてください!
いくつかあります。1つ目は小学生の時、私立中学を目指して塾に通い始めたこと。2つ目は前職からこの会社に帰ってきた時、3つ目は妻を亡くしたこと、そして4つ目は無病から一病になったことが挙げられますかね。
おおお!1つずつ聞いていきます!塾に通ったことがどうしてターニングポイントに挙げられるのでしょうか?
私立中学に入るため塾に5年生の時入りました。周りの人がすごくて、それまでの意識が変わりました。今までで一番勉強した気がします。
その頃の先生って怖そうですね……スパルタな感じでしたか?
そうですね、そういう時代でした。
2つ目について聞いても良いですか?
別の企業に勤めてしばらくしてから三光機工に戻ってきたのですが、大企業と中小企業の違いを色々と感じました。前職でたくさんのことを学んだので、この会社で活かすことができたら良いなと思いました。
3つ目に関してはいかがですか?
2008年に最初の妻を亡くしました。妻が亡くなった日から育ち盛りの子ども3人のご飯の準備をしなくてはならなかったので大変でした。朝起きてからの2時間が一番大変だったかな。バタバタしてました。朝の家事を終えて会社に着いた頃には疲れてましたね。(笑)
1人で家事と社長を務めるのは大変そう……4つ目に関して教えてください!
それまで全くの健康だったのに、数年前に病気を患ってしまってね。そこで今まで無限に時間があると思っていたのが崩れましたね。いつ死ぬかわからないから取捨選択をしっかりして生きていきたい、と思うようになりました。それから「やること」と「やらないこと」をしっかりと分けて生きています。
なるほど!現在習慣は何かありますか?
5年ほど前から毎日歩くようにしています。京都市内の様々な路を歩きたいと思って車を近接の駐車場に入れて歩いています。これをしてから体調と京都の地理感が向上しました。
良い習慣ですね!座右の銘にしている言葉があったら教えてください!
「智は明にしかず」という言葉です。「知っている」ということは「わかる」ことに及ばない、という意味だと捉えています。
それはどういうことを指すのでしょうか?
知っているというのは一面的な認識に過ぎないと思っています。それはどこかから見た時にそう見えただけで、それで本質を理解できたとは言えません。多面的に見ることによって初めて理解ができたと言えるのだと思うのです。例えば、人に何かものを頼む時に「逆の立場に立って考えたか?」というのはよく社員に言います。これが「明」だと思っています。
相手の立場に立って、視座を相手に……
色々な視点で考えてみる癖をつけると、多面的に説明できるようになります。「これが流行っている」というものに対して、「ほんまにそうやろうか」と疑いながら見てみると良いかもしれません。
なるほど、勉強になります!最後に大学生にメッセージをおねがいします!!
今の大学生に言いたいのは、とりあえず色々な経験を積んでください、ということ。そして、人間関係を学ぶ良い機会だから色々な人と付き合ってください、という2つです。大学や高校で出会う友達は生涯の友達になるから。そこで人間関係を色々と学んでいってください。それらの経験が後々の多面的に物事をみることへつながるのではないかと思います。
智と明のお話、様々なとこで活かせそうなお話でした!貴重なお時間をいただきましてありがとうございました!