村上 研介(むらかみ けんすけ)
株式会社ONO plus 代表取締役
生年:1971年
高校受験、大学受験と親の反対を押し切って自分の道を切り拓いてきた村上社長。そんな村上社長の人生は、多くの決断があったそう。そんな村上社長が決断する時、一番大切にしていることとは?
経営者のストレス
村上社長が、社長になるまでの経緯を教えてください!
京都大学で機械工学を学んだ後、機械製造の会社に就職しました。その後、29歳の時にONO plusに入社しました。先代(義父)からお誘いを受けたのがきっかけです。そして社長になったのが、36歳の時でした。
転職の時には迷いましたか?
そうですね。将来、経営者として会社を継ぐ前提での入社だったのですが、自分が経営者に向いているのかも分かりませんでした。また、組織内での人間関係も難題だと思いました。
入社の決め手となったのは?
自分が最終決断者になれば、組織で働く上でのもどかしさも感じなくなるんじゃ無いか、と思ったからです。
組織で働いていく上でのもどかしさ?
何事も自分で決めていきたいんです。学生の頃から自分の道は自分で決めてきたので、上から指図されたりするのをストレスに感じるタイプなんです。
実際に経営者をやってみて良かったことは?
自分で決められる、ということです。以前のストレスは、上司は分かってないだったり、やりたいのにやらせて貰えないだったりしました。今は責任を全部持つことの大変さはありますが、楽しめています。
自分で決断する経験
学生や20代の頃にやったことで、今の価値観に繋がっている経験があれば教えてください!
何事も自分で決断してきた経験は良かったと思います。高校に入る時、近所の私立高校が女子校から共学の進学校になって、特待生で入らへんか、とお誘いを受けたんです。親は、授業料もタダで面倒見てくれるからということで勧めてきたのですが、僕は聞いたことのない学校だったし、私立には行きたくない、という想いがあったので別の高校を選びました。
すごい決断!
もちろん親にはすごく怒られましたよ(笑)。でも自分の判断で押し切りましたから、他の生徒より良い成績が取れるようにがんばりました。これが人生を自分で決める最初の経験でした。
他にも自分で決めてきた経験はありますか?
大学受験の時も、自分で決めました。親は偏差値の良い大学を勧めてきましたが、僕にはその大学に行きたい理由が正直なかったので、親の言い分を押し切って自分の行きたい大学に入学しました。
親からの期待がかかっている中、自分の人生を決めることができるのがすごいです。
もちろん、親の言う通りにする方が楽ですよ。上手いこといかない時に人のせいにすることができますから。でも、自分で決めて退路を断つ方が僕の性に合っているんです。自分の人生を人のせいにして生きるのは嫌なんです。
なるほど。村上社長が何かを決める時の判断基準があれば教えてください!
「面白そうかどうか」で決めています。例えば新しい事業を企画から実行に移す時、成否予想の経営判断をしないといけないわけです。しかし、新規事業が上手くいくか否かは分かり難いです。でも、面白いか否かは分かります。
失敗に対するリスクヘッジは……?
失敗してもリカバーできる規模からスタートさせるようにしています。
社長のように、自分で自分の人生を切り拓くために今の大学生を中心とする若い人たちが、やっておいたら良いことがあれば教えてください!
学生は失敗が許されます。失敗するのに有利な時期だと思います。なぜなら、たくさんの人がアドバイスをくれるから。失敗して成長した者勝ちですよ。僕の尊敬する人が「40歳までに何人と会えるかで、その人の人生が決まる」と言っていました。きっとそれは、40歳までは色々な人がアドバイスしてくれるけど、歳をとると言ってくれなくなる、ということ。若い人たちの成長を楽しみにしています。